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クライアントの声

1ヶ月で53kg ⇒ 46.5kg

藤田たかえ様

56歳

子どもの頃は「ガイコツ」というあだ名をつけられたこともあるくらいガリガリだった私には、

ダイエットなんて永遠に無縁だと思っていました。
ところが寄る年波には逆らえず、45歳を過ぎるころから少しずつ体重が増え始め、気がつけば出産直前の体重になってしまいました。
お洋服を買いに行っても、見てイメージした姿と実際に試着してみた姿のギャップが大きく、打ちひしがれることも度々・・・・。体が重く感じられ、ついつい階段を使うのが億劫になったりして健康の上

でも何とかしたいなあ、と思っていました。 
そんな時に知ったのが糖質制限のお話でした。短期間で結果が出るというところが、

短期決戦型の私にピッタリだと思い始めてみることにしました。
まずは、3日間だけは続けようと決めて、ご飯・パン・麺類はストップ。
鶏のささ身と青菜と豆腐を中心にした食事にし、お腹が減ったときはチーズとナッツでしのぎました。

この3日で1kg減りました。
じゃあ、あと4日間、合計で1週間だけ続けてみようと思い、高雄病院の江部先生の本を見て料理を工夫しながら過ごしました。どうしても作る時間のないときは、近所の「ざ・めしや」に行きました。

たくさんのメニューの中から選ぶ楽しみがあることはうれしいことでしたが、大好きな麺類を選べないのが一番つらいことでした。
でも、毎日つけていた体重記録が、この頃になると減っていくのが目に見えて楽しいので、

もう辞めたくなくなっていました。
そこで、あと3週間、トータルで1か月だけ続けてみよう、ただし、もしその間に体重が45kgを切ることがあったらその時点で止めよう、ということにしました。
最初の1週間よりゆるやかにして、糖質オフのビールや赤ワインもいただきながらだったので、思ったよりスムーズに時間が過ぎました。
1か月経ち、落ちた体重は6kg。そこで久々に飲んだ日本酒はとてもおいしかったです(笑)

その後もかなりゆるやかな糖質制限にしていましたが、リバウンドすることなく半年以上が過ぎたころ、
市川幸恵さんと出会いました。
その頃の私は、会った人に、よくこの糖質制限ダイエットのことを話していました。
いつもの調子で、話を始めたところ市川さんから
「わたしね、それを仕事にしてるのよ!」
と聞かされてびっくり! ナースの経験を生かして自分の疑問に思ったことを研究して、それを人にシェアすることを仕事になさっていると伺い、なんて素晴らしい方だろう!なんて尊い仕事だろう!と思いました。

今後、自分の健康は自分でまもる「自立した人」がもっと増えていくためにも、市川幸恵さんの更なるご活躍を心よりお祈り申し上げます。

注射針をさしても血が出ない自分が・・・!

山崎宏平様 

会社経営

61歳

山崎宏平と申します。現在61歳、食品会社を経営しています。

 

私が糖尿病だと最初に言われたのは37歳のときでした。

言われてびっくりして、酒も控えて2ヶ月ほどして医者に行ったら良くなっていたので、何だこんなもんか、これならいつでもちょっと改善すれば良くなるって思ってしまったのが間違いでした。

それからは悪い結果が出ても全く気にしなくなりました。

もともと母親は糖尿から来る心不全で、血管のバイパスの手術をしていました。

生活習慣よりも体質だしまあしょうがないかって不摂生をしていました。

医者に行っても、HbA1Cは9を切ることがなく、ほとんどの場合10以上でした。

 

そういう自分が、京都の講演会で市川さんにお会いして、糖質制限食を教わりました。

自宅は静岡県富士市ですが、京都まで月1回来るのも楽しいこともあるし、仕事もあるしまあいいかって思って、一昨年の10月から高雄病院に通い出しました。最初のうちは市川さんも病院にも来てくださり、京都の案内もしてもらいました。思いやりのあるすばらしい方で信頼しております。

 

始めた頃は、血糖値を測ろうと針を刺しても血が出ないくらい血液がよどんでいました。現在では血行は良くなっています。最低でも今でもA1Cは7.8にしか下がっていません。なんとか7を切ろうと思いがんばっています。女房も一生懸命協力してくれています。

 

澱粉をできるだけ取らないようにしていますが、野菜にも糖があるし、朝食後血糖値は200くらいになってしまいます。

 

これからもがんばります。

無理のない最高のダイエット法

小管克己様

小さな頃からよく食べるし、甘い物が大好きだったのでよく太った子供でした。
おとなになってからも少し気を許して食べると太ってしまい、なかなか体重を減らすことが難しいと思っていました。
市川さんの糖質制限のお話を聞いて、
・現代の食生活がいかに本来の人間の食生活と合っていないか!
・どんな食べ物が太りやすく、太りにくいのか!
・具体的にどのような食べ物、食べ方に気をつければ良いのか!

とうことが理解でき、分かりやすく指導していただけるので、無理のないウエイトコントロールができています。
糖質制限は、面倒なカロリー計算を考えることなく、人間本来の食生活に近づく無理のない最高のダイエット方法だと私は感じています。

楽しく健康に暮らす~炭水化物を半分に。3週間で-5kg!

T.O様

糖質制限を知ったのは、市川さんの講演会がきっかけでした。

人類創成の歴史から現代の 日本人が行っている食生活までの変化を解説いただき、糖質がどれだけ人類にとって貴重 なものであったのか、そして現代、糖質をいかに取りすぎているのかを 1 時間半たっぷり 聞かせていただきました。炭水化物は食物繊維の殻を被った糖質であるということに衝撃 を感じました。

私は実体験もせずに、安易にその情報を受け入れたくないと思っています。 次の日から食べる時に炭水化物を減らしてみようと思いました。 ランチタイムにどこに食べに行こうかと思ったとき、炭水化物のないランチってなんだろ うと考えました。麺類、丼ぶりもの、パスタなど、ほとんどのランチメニューは炭水化物 主体であることがわかりました。出来ることは何とか定食のご飯を少なめにすることぐら いです。 まず、私たちの食生活が炭水化物中心になっているということに気がつきました。

そこで、 私は健康体で少しお腹を気にし出した程度ですので、炭水化物を半分にしようと考えまし た。家で食事をとるときは、ご飯を茶碗半分にし、外で食べる時は少し残すように気をつ けました。アルコールをいただくときは、最後にラーメンやお茶漬けを頂くと言う習慣を なくしました。もちろん絶対やってはいけないラーメンライスは禁止しました。たったそ れだけです。

 

ところが 2 週間ほどすると、脳のこめかみ辺りがじんじんし始めました。私の勝手な直感 的解釈ですが、糖分を脂肪として蓄える力の反対である、脂肪を糖分に変化させて使う能 力が目覚めたのではないかと思いました。

するとどんどん体重が減り始めました。始めて から 3 週間ほどで 5 キロほど体重が減り、高校生のときの体重になりました。

ちょっと痩 せ過ぎですので、私は糖質制限を制限しました。その後、糖質の事や食べもののことを意 識するようになり、いたって健康な状態を保っています。

市川さんの講演会で最も印象に残っているのは、講演会の後、懇親会で市川さんが日本酒 を注文したことです。糖質制限をしているから、ご飯を食べないとか、好きな日本酒を辞 めるとか、ストイックな事をしないことが大切だと教えていただきました。 楽しく健康でいること。活き活きした人生を歩んでいくことが、真の長寿国の国民の生き 方だと思います。

市川さんの生き方が、溢れる情報に翻弄されがちな現代人の羅針盤になりますことを心か らお祈り致します。素敵な出会いに感謝致します。

糖尿病には糖質制限が一番!を体験

小寺聖子様

47歳

私は23歳で思いがけず㈵型糖尿病になり、29、31、39歳で三人の出産を経験しました。

妊娠時はインスリン量が倍増しそれに伴って体重も倍増。出産後も育児や仕事で自分の体や糖尿病のことは二の次になっていきました。

 

市川さんに出会ったときはヘモグロビンHa1c は10パーセントをこえ、体重も出産前からは20キロ増えている状態でした

市川さんは糖質制限食とはどういうものかということから、糖質の血糖値への影響など、今までの糖尿病食の常識とは全く違った事を教えてくださいました。

お米、パン、麺類を制限するなんて無理〜と正直、不安なまま、糖質制限を始めたのですが、血糖値を測ると数字がびっくりするくらい、ほぼ上がらないのです。そして、体重は減っていきました。

お米、パン、麺類、スイーツを食べたいという思いよりも、私はこの血糖値の数字と体重計の数字に惹かれていきました。

 

市川さんはご自身の糖質制限ライフのご経験と確かな医療の知識で、いつも私の小さな疑問に的確な答えをくださるので小さな不安は大きくなることはありません。それ以上に、たくさんのアイディアと食の大切さまで教えてくださいます。

 

一生お米やパン、麺類スイーツを取らないと決めたわけではありません。血糖値は意識しますが、自分や周りの人が嫌な思いをしたり、ストレスを感じないように私なりの糖質制限ライフを楽しんでいきたいと思って思います。

そして、糖尿病には糖質制限が一番だということを、自分で体験しながら市川さんと一緒に伝えていきたいと思うのです。

 

60kg ⇒ 50kg 痩せるためにしたことは、至ってシンプル

匿名 女性

技術職 

身長160cm 

 

もともと痩せ型でしたが、5年ほど前からふとりだして、食べても食べても食べられる「食べる幸せ」に浸って、ついに60㎏の大台に突入。

3年前に、このままではと、やっと悲壮感が漂い始めた頃、市川さんと出会いました。ものすごく熱心に糖質制限のセミナーに誘ってくださいました。セミナー当日には、手作りの糖質制限食を数点持参されて、「これどうぞ!」「書店にいっぱい糖質制限の本が出ているから」と圧倒されるくらい、優しい市川さんでした。

痩せるためにしたことは、いたってシンプル。糖質チェックをして、「食べるものは糖質の少ないもの」「糖質の多いものは少しだけ食べる」3食必ず食べること、ストレッチで身体をほぐして、早寝早起きとたっぷり給水。1週間単位でみるみる結果がついてきました。結果が出るとやる気が出てきて「これ食べるともったいない」と「食べない幸せ」に変わっていきました。

太って痩せて、自分を律することを学びました。必然。良かったな〜っていう感じ。ちょっと余裕ですね。心のゆとりを持てるようになりましたね。太って痩せて、いっぱい得した感じです。背中を押してくださった市川さんに感謝です。ありがとうございます。

意識して食べるだけで、血糖値が下がった!

石川公三様

京都府ふるさと連合会

北海道クラブ会長

伝統美術工芸会社社長

京都市北区在住

市川さんには、京都北海道クラブの理事をしていただいています。私は、大学卒業の頃には、105kgと肥満でありました。その後、糖尿病でインスリン注射したり、腎臓や心臓と合併症も出始めています。6年前に大腸ガンで手術し、体重は76㎏になり、現在に至ってます。

市川さんの「糖質制限食治療の真実」という講演を聴きました。家内も糖尿病があるので、同伴しました。

市川さんの講演を聴いてからは、出されたものを注意して、食べるようになりました。自分で意識して、「これはやめておこうか」と注意するようになったのです。血糖値は下がりました。現在HbAicは、6.2-6.4となりました。講演会には、糖尿病のある他の理事も参加していました。この理事も熱心に糖質制限食を実行し、検査の値が良くなり、薬も減らせて、その効果を実感し、継続しています。

市川さんの講演では、肥満が癌の原因になる理由を詳しく語られていまして、私のこれまでの体調の流れを知っている家内は、特にこのことに得心したようです。

 

私は長くロータリークラブの活動をしております。ロータリークラブには、医師の会員もおりますが、糖尿病が専門ではありません。私は、市川さんの話は、ロータリーでもやってもらおう、この話は聴いてもらったほうがいいと思いました。

 

ロータリークラブでも、「健康の未来構造 ー糖尿病と癌と糖質制限ー 」というテーマで講演をしてもらいました。この講演会は大変評判が良く、準備した私も、参加者から、良かったと言ってもらえました。

糖質制限の話は、聴く方の理解が必要です。

市川さん、これからももっと勉強して、病気で困っておられる方を、必死になって助けてください。一生懸命広げてほしいと思います。

私を真似た主人も3ヶ月で-5kg!

渡辺倫子様

江戸千家 茶の湯 

神戸不自会 会長 

株式会社ブルーミンメドー オーナー 

神戸在住

62歳

 

市川さんとは、茶事の御連客として、初めてお会いし、糖質制限について知り、さっそくご飯と麺を止めました。

麺類が好物なので、やめられるかしらと思いましたが、直ぐに止めました。

意識の中で、「ここ(お腹)に溜まるのだわ、我慢しよう」と思いました。

仕事を終え、お酒を嗜み、おつまみなど頂きながら、夜に一息つくのが、楽しみでもあり、ほっとする時間です。思い起こせばこれまでは、さらにご飯を食べていたのです。

塩シャケにご飯など、好きですが止めました。

暫くすると、胃が小さくなり、少量でも満腹感が起こるようになったのが判りました。

食べ物を見て、これは糖質なのか、どうかと考えるようになりました。ウェストのくびれができ、ベルトの穴2つ分切り、短くした時は、うれしかったです。

会った人から見て、痩せたことが気づくようになってきました。息を吸って、お腹を大きく膨らませても目立たぬようになりました。お腹を隠すのに、オアーバーブラウスでしか着られなかったスカートも気にせずにはけるようになり、おしゃれができるようになりました。

もう一つ凄いことが起こりました。主人が変わったのです。これまでは主人の肥満が心配ですから「ご飯の量が多いですよ」と私が言っても聞かなかった主人でした。私が何も言わず、ご飯を控えるのを横で見ていて、自然と控えるようになったのです。なんと、75㎏から3ヶ月ほどで70㎏になりました。本人は65㎏を目標にしていると言うのです。市川先生に頂いた本を主人が熱心に読んでいます。主人が自分から始めことに驚きました。

私も56㎏から54㎏になり、目標は52㎏です。

市川先生が、優しい説明で、自然な導入をしてくださったので、私は抵抗なく始められたと思っています。茶道の弟子には「先生、ご飯を食べなければいけないのではありませんか?」と言われます。しかし、これまでは、朝が中々起きられていなかったが、今は、頭はスッキリ爽やかに起きられるのです。こんな良いことをうまく説明できるようになれればと思います。

魚や肉の脂身など、食べる油を目指し、しっかり取るようにと言われました。これまで、脂は良くないものとばかり思っていましたが、違うのです。私は、現在はマヨネーズをたっぷりつけてブロッコリーを食べます。市川先生に、家で手早く、食べられるご飯のようなものがないと困ると言えば、ツナの油漬缶詰にネギを盛り、チンして醤油をたらして食べる方法を具体的に教えていただきました。外で糖質制限の外食が難しい時は、小袋のマヨネーズ、サラミ、チーズ、ナッツ、ゆで卵をバックに入れていくなどの知恵や工夫も教えていただきました。

また、これまで良かれと思っていた、毎日の手製のミックスジュースも、果物の糖が多いこと、毎日のヨーグルト系の健康飲料も味をよくするために、糖質が意外に多く入れて作ってあるなど、新しい情報も教えてもらいました。

市川先生は、糖質制限を広げ、今や国民病と成っている、糖尿病、そして、そのベースになっている肥満から、人々を守り、健康で幸せな人生を送ってもらいたいという熱意があり、私は、そんな市川先生のお役に立ちたいと思って居ます。市川先生とは、素晴らしい出会いとご縁がありました。是非、糖質制限を広げていただきたいと思います。

糖尿病の薬がいらなくなる

松浦与志郎様

京都府長岡京市在住 

会社員

60歳

10年前、糖尿病と言われ、HbAicは10以上ありました。薬で低血糖になり、怖い思いをしました。薬はなるべく飲みたくありません。低血糖では、普段食べてはいけないと言われている、ブドウ糖を食べるように言われ、これはどういうことかと、なぜなのか分かりませんし、疑問でした。薬を飲むとしんどくなる不安から、言われた通りの量を飲むことはしていません。私は運動を意識して行っていました。

糖質制限をすれば薬はいらなくなると、市川先生を紹介してもらいました。

これは良い話を聞いたと思いました。これから大いに勉強して、実践し、糖尿病を治してしまおうと思いました。

自然と-7~8kg ⇒ 体調が絶好調!

飛田幸雄様

愛知県ふるさと大使 

京都愛知県人会副会長 

会社オーナー

70歳

ブロバスクラブ京都で「糖尿病や癌における糖質の働きとその本質ー幸せな長生きを共にー」という、市川さんの講演を聴きました。市川さんの話で、非常に印象深かったのは、栄養学・病気・医学のつながりです。説明が明瞭かつ的確でした。

栄養方による肥満が蔓延している。それが原因で色々な病気になる。これらを少しでも理解してもらい、健康に役立ててほしい胸の講演でした。特に、炭水化物の摂取が、肥満の原因であるというのです。私は、このことを是非、今後の人生に生かそうと思いました。

これまで私は、肉ばかり食べるとか、ご飯ばかり食べるとか、偏ることもなく、好き嫌いはしないで、出されたものはきちんと食べていました。これがしつけでもあり、バランスの良い食べ方と思っていました。

大学卒業時は、176㎝、55㎏の細身でした。21歳で禁煙し、65㎏になりました。その後、毎年1㎏づつ増え続け、ここ20年程は85㎏、最高時は88㎏でした。しかし、176㎝、88㎏といえば、少しは体重オーバーかもしれませんが、欧米人と比べたらスマートであり、違和感もなく、自分では普通であり、肥満であるとは考えてもいませんでした。

市川さんの話は、仲間でも話題となり、話が盛り上がりました。兎に角、亡羊とはしているが、痩せることは大事だ。兎に角痩せてみようということになりました。友人と共に、朝だけバナナと水かお茶、昼と夜は何でも良いいというところからスタートしました。

何でも良いとはいえ、「炭水化物はダメだから、ご飯を減らそう」になり、「炭水化物の物を減らそう」になり、ひとりでに「昼も夜も、炭水化物を減らす実践をしていこう」になり、知らず知らず、原料が始まったのです。端々に、「ちょっと控えよう」「2杯から1杯へ」「1杯から半分へ」ひとりでに、そういう所作に現れてきました。何でもかんでも出されたものはきちんと食べる、残すのはもったいない。世の中には、食べられない人もいる、捨てるなどもっての他で、節操のないことである。という考えから、随分、減らす心配りができるという風に変わりました。それで、知らず知らずのうちに、7〜8㎏の減量ができていたのです。

着るもののサイズが合わなくなりました。ちょっと前の細身の服が着られるようになり、ベルトがゆるゆるになり、ベルトカットの際は、減量を実感するときとなりました。私は、5年前から時痛、腰痛、骨の壊死と整形外科の手術を経験しました。市川さんとの出会いに、人生を救われた思いです。

市川さんは、考え方が、非常に素晴らしいと思います。世の中のためになる色々のことが、順序良く解っている人です。良いことを聴けたと思っていますし、実際に成果が出ているし、今では、減量は楽しい事だと思っています。これからも、一人一人の身体がさらに良くなるように研究をすすめてもらいたいです。

妻は、これ以上減量すると、外見上貧相になるからとか、体力、耐久力、免疫力が落ちるのではないかと心配しますが、実際の所、私の体調はここ数年の中で絶好調です。私は、市川さんに言われたら、その通りに努力しますよ。

病気を治すためにも糖尿病を改善することが大切

勝山周悟様

京都市右京区在住

株式会社本つづれ勝山 代表取締役社長

65歳

私が最初に大病を患ったのは、平成18年5月の連休最後の日の朝です。

頭痛が激しく、知人のドクターにメールした所、京都駅の武田病院の脳神経外を勧められて、私は至って元気に診察を受けました。
ですが、問診の後のCTスキャンで「右脳幹部こぶし大出血」と緊急で、そのまま入院になりました。

くも膜下出血なら緊急手術になるのですが、脳幹部では手術できず、点滴のみの治療で20日ほどで無事退院できました。

しかし後遺症があり、記憶中枢に故障が起きたのか、物忘れが多くなり、メモを取るようになりました。

また、左目の視野狭窄が起こり、歩行中に車に気を取られ、電柱に頭突きをするということを何度もやり、ドアミラーに左手をぶつけるなど青あざが絶えませんでした。

 

退院後は、半年に一度の、造影剤CTの検査に通っていましたが、血液検査で成人病のデパートと言われ、糖尿病、高血圧、高脂血症など、大量の薬を処方されました。

しかし飲みわすれが多く、いつも10日から15日分の薬が残りました。数値が下がらないため投薬が50ミリから100ミリになっても同じことでした。
高血圧の為、ドクターの勧めもあり、タバコは止めて、仕事も運転も控えていましたが、9月から本格的に仕事に復帰しました。
私の仕事の一番は、綴れ織製品の製作ですので、図案家さんとの草案、企画、配色が主になります。図案と色糸とにらめっこしていると、自然とポケットに手がいきタバコを探していました。

 

2ヶ月が経ち、11月中頃の深夜、腹部に激痛が走り、救急車を呼ぶ羽目になりました。

掛かりつけだった武田病院にに搬送してもらい、診察してもらい「急性十二指腸潰瘍」と判り、入院となりました。
翌朝胃カメラ検査を受け、ドクターから「何かストレスがありませんか?」と聞かれ、「常にタバコを探してます。」と答えると、「やっぱり」と言われました。

その日の夕方からタバコを吸い始めました。2日経つと、痛みが消え、胃カメラで検査したところ、爛れていたところが綺麗に治ってました。

ドクターに「何かしましたか?」と聞かれたので、特効薬のタバコを吸ったことを告げました。タバコは体に悪いことになっているので、口外しないようにと言われましたが、直ぐに退院しました。

 

その4年後の22年9月にぎっくり腰になり、友人のハリとカイロプラテックの治療院で治療を受けました。

それからわずか10日後、夜中に激しい腹痛が起こり、救急車を呼び、再び武田病院に入院しました。

診察の結果、「急性腸閉塞」と判り、朝まで入院し、一旦は退院しましたが、その日中に連絡があり、腎臓に影があるので、再度の来院と検査を勧められ、「腎臓癌」が見つかり、手術し、1週間で退院できました。

 

多くの人に助けられて、生かして頂いています。

 

その後、25年4月に、肺癌を発症しました。

6ミリと小さく、手術をせずに暫く様子を見ましょうと、今に至ってます。


肺癌発見時の血液検査で、ヘモグロビンA1Cが10.8あり、糖尿病ですぐに入院を勧められましたが、A1Cが6にならないと、手術ができないと言われ、本格的に糖尿病の治療に取り掛かりました。

しかしズボラが治らず、食事も薬も以前と変わらずに、ええ加減にしていたところ、ある会合で市川女史の出会い、江部先生の糖質制限の本を紹介され、熟読しました。

 

25年9月に高尾病院に足を運びました。
江部先生ではありませんでしたが、担当のドクターに、「糖尿病は、糖質を摂るから糖尿病になるので、摂らなければ治る」と言われました。

「低血糖になり、車の運転に支障はないですか」と聞いたところ、私の場合、インシュリン依存の糖尿病ではなく、内臓脂肪を糖質に変える能力を維持しているので大丈夫と言われ、納得しました。

 

それから糖質制限食を始めました。親から「一膳飯は御佛飯だから、お替りをしないといけない」と育てられ、
今まで、ご飯を2杯、一日3回、65年間食べてきましたので、急にやめるのは難しかったです。
1ヶ月目は、夕食のご飯を止め、2ヶ月目は朝食も、3ヶ月後には、
3食ともご飯、パン、うどん、ラーメンをなど、主食だった糖質を止めました。

 

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